こんにちは、Fujiki(@Fujiki_Gallery)です。
最近行けてなかった映画、久々に行ってきました。
映画のレビューは書いたことなかったのですが、もうこの映画が良すぎて勢い余って書いてしまいました。
ではさっそくご覧ください。
号泣必至の映画でした
「ワンダー 君は太陽」という映画を見てきました。
この映画は6月15日に公開されました。
僕は全く知らなかったのですが、友達に誘われ、「なんだこの映画?」と最初は思ったのですが、ポスターの「興行320億超え」というところと、真ん中にいる宇宙飛行士のヘルメット姿の男の子に妙に惹かれて、急遽行くことにしました。
結果は…
号泣しました…😭😭😭
良すぎやろ!!
予告では「顔が少し周りと違うオギーとその家族の物語」という感じでしたが、その家族の描き方がめちゃくちゃ良かったです。この描き方と展開は泣くやん…
そして、僕が人生で大切だなと思っていることについても描かれていて、これは人生ベスト映画になりました。(ちなみに今まではアバウト・タイム)
ということで、特に心に残ったシーンをピックアップしながら感想を書いていきます。
ネタバレを含みますのでご注意をお願いします。
※ここからネタバレ注意
多面的な視点から語られる物語
この物語は、オギーが初めて小学校に行き、そこで1年を過ごす間の物語です。
これまで自宅学習を続けていたオギーが初めて小学校に行くところから物語はスタートします。
オギーが初めて小学校に行く朝、オギーの両親と姉のヴィアの家族全員で見送りに行きます。
小学校の校門に着きましたが、オギーはまだ宇宙飛行士のヘルメット姿です。(自分の顔を見られるのが嫌だから)
そんなヘルメット姿のオギーを元気付けようと話しかけるヴィアのシーンがありました。しかし、そのセリフは聞こえてきません。
なぜだろう?と思っていたら、オギーが小学校初日を送ったシーンが流れた後に、ヴィアがフィーチャーされるシーンに移り変わったんです。
そして、場面は先ほどのオギーを見送る場面。
そこで初めて、ヴィアがオギーに送った言葉の内容が聞けました。
そして、ヴィアの高校生活が始まるシーンが流れて行きます。
ーーー
最初、「障がいを乗り越えていく」というオギーの視点でずっと描かれていく映画だと思っていたんです。
が、ヴィアがフィーチャーされて、「あ、これはそういう話じゃない、人それぞれの視点や考えがあって、それを見つめることの大切さを教えられるやつだ…」と一瞬で理解しました。
思った通り、ヴィアだけでなくその友達のミランダやオギーの親友のジャックが次々とフィーチャーされていきます。
1人のシーンが終わったら次の人に切り替わり、これからフィーチャーされる人の名前が画面いっぱいに表示され、その人の視点に切り替わります。
そしてフィーチャーされたその人の心の声がその人自身のナレーションで展開されていく。
その心の声は、(もちろんですが)オギーの視点とヴィアの視点で語られることが全然違うんです。
ヴィアから見た視点はこうです。
「オギーが小学校に通えるまでは、母親はオギーにつきっきり。ヴィアは母親にもっと見てほしいと思いつつ、でもオギーがいるから我慢して家事を手伝う…という複雑な気持ちで過ごさなきゃならない。1番の愛を注いでくれた祖母も天国にいて…。」
(Wonder (2017 Movie) – Meet Via (Izabela Vidovic)より)
オギーがいることによって、ヴィアはイザベル(母親)からの愛が満たされずに不満でいたのです。
オギーからのヴィアというこの展開と、ヴィアの描き方は、「確かにそうだよなぁ…」と共感するばかりでした。
オギーが「特別」なために一面的に見てしまいがちでしたが、ヴィア視点からの物語を知ることによって、1人ひとり目線や考えていることは違うことを改めて学ばされました。
イザベルとヴィアの関係
オギーは初めて小学校に通うことになりましたが、ヴィアはヴィアで高校生活を始め、彼女は演劇部に入ります。
次の公演のオーディションを受けますが、結果は友達のミランダがヒロインで、ヴィアはヒロインの代役(いわゆる補欠)。
ヴィアのボーイフレンドのジャスティンも公演に出演予定のため、公演の日が次第に近づくと、イザベル(母親)は「公演を見に行く」と。
今までオギーにつきっきりだったのに、いきなり来ると言って、しかも自分は代役。ヴィアにとっては正直来てほしくありませんでした。
反発し合うヴィアとイザベル。結局、両親とオギーはヴィアの公演を半ば強引に見に行くことになりました。
公演の開幕直前、観客席に座っているヴィアの家族を見つけたミランダは、ヴィアの演技を彼女の家族に見てほしいと考え、土壇場で(仮病を使って)ヴィアにヒロインの役を譲ります。
そして公演が開幕。
イザベルはヒロインがミランダと聞いていましたが、目にしたのはヴィア。
彼女は、堂々と演技をこなしていきます。イザベルは、これほど大きく立派に成長した娘の姿を真剣に見たのは久しぶりです。今までオギーにつきっきりで、ヴィアのことをよく見れてなかった。オギーが生まれる前、ヴィアがまだ5歳頃の誕生日のことを思い出します。イザベルとヴィアでほっぺたをくっつけあって誕生日ケーキの火を一緒に消す。ヴィアの演技を見ながら、そんな思い出をふと回想していました。
ヴィアの、イザベルへの想いが届いた瞬間でした。公演の後、イザベルはヴィアに「よくやった」と目を合わせます。
(Wonder Viral Video – Meet Mom (2017) | Movieclips Coming Soonより)
もう…ここのシーンはほんとダメ(泣け過ぎて良すぎるという意味)だ…この誕生日ケーキのシーンは完全に泣かせに来ている…。
ヴィアの気持ちと母親の気持ち両方の気持ちにさせられ、「最も幸せだったあの愛をもう一度感じたい」と回想シーンを出されると泣かずにはいられませんでした。
僕は大人になった今だからこそ、自分の母親とも結び付けることで、より母親の愛情に対してあたたかい気持ちになってこのシーンを見ることができました。
影の立役者、ネート
僕がこの映画でとても重要だなと思っている人物は、オギーの父親、ネートです。
ネートは、この映画ではオギーやヴィア、イザベルに比べて一貫して脇役として描かれていました。
オギーやヴィアなどと同様に、フィーチャーされたり心の声が語られたりすることはありません。
ただ、僕は、この父親はめっちゃすごいと思うんです。この映画を通して見てると、本当に重要なポジションで重要な役割をこなしたと思うんです。だから褒めてあげたい!!
ちゃんと仕事をしながらオギーの出産に立会い、オギーが小学校に行く時も見送りに行ってアドバイスをし、家族の誰かが不機嫌でも絶対に前向きな発言をし、オギーやその友達と一生懸命に遊び、一家を支える父親としてめちゃくちゃ尊敬できる人物でした。
まず、率直にこの立ち振る舞いのネートに尊敬するとともに、この映画全体でのネートのポジションも考えてみました。
振り返ってみると、父親のネートが何にも屈さず支える人だったからこそ、僕たちはよりオギー、ヴィア、イザベルを集中して見ることができ、3人に感情移入できたんだなと思うんです。
ネートみたいな人になりたいなと尊敬すると共に、物語で誰を注視してほしいかが良く練られた上での脚本なんだなと関心しました。
オギーの表彰
最後のシーン、オギーの小学校生活が1年経過し、オギーがその年の最優秀生徒として表彰されます。
表彰する立場の校長先生が「自分の行動によって周りに良い影響を与えていく素晴らしさ」という旨の祝辞を述べるのですが、この時、それまでオギーが影響を与えてきた周囲の人との印象的な回想シーンが次々と流れるんです。ジャックと一緒に理科の実験コンクールで優勝したり、いじめっ子だった子と仲良くなったり…。こんなん泣くに決まっとるやん…。
(キャストが舞台裏を語る!『ワンダー 君は太陽』スペシャル映像より)
まとめ
どんなシーンを切り取っても泣けるし学べる映画でした。
この映画を通して全体的に感じたことをまとめてみました。
人生の教訓を再認識できた
この映画は、僕が人生で大切にしていることを具現化してくれたと思います。
僕は、常々下記のことを考えながら生活しています。
誰しも、自分で変えられないものと、変えられるものがあります。
変えられないものは、例えば生まれた時代や生まれた国や人種や親。
これは変えようのない事実です。
オギーも、その一つの「変えられないもの」によって苦しめられた人です。
ただ、一方で変えられるものもあります。
それは、認知、行動、発言。
オギーには、自分の顔という変えられないものがありましたが、認知、行動、発言を変えることによって周囲の人に大きな影響を与え、尊敬されるまでになりました。
「周囲を変えたければ、自分を変えることから始める。」
これは生きていく上で凄く大切な教訓だと思います。
自分を幸せだと思うのも不幸だと思うのも自分次第。
だったら、幸せになれる方法があるはず。
そんな教訓をオギーは再認識させてくれて、また幸せになれる勇気を与えてくれました。
リトルミスサンシャイン、シンプルシモンみたいだった
「主人公が一つの目的に向かう中で、主人公を取り巻く家族との間に物語がある」という点で、僕は2つの映画を思い出しました。
1つは、「リトルミスサンシャイン」です。
もう1つは、「シンプルシモン」です。
登場人物の性格や背景、家族構成などは全く違いますが、どちらも主人公の気持ちや彼らを取り巻く家族の気持ちをとても考えさせられる映画です。
今回これらの詳細は割愛しますが、この2つの映画はどちらも僕は好きです。
今回「ワンダー 君は太陽」がこれらの映画より好きになったのですが、その理由はやはり主人公の周りの人の描き方です。
2つの映画はあくまでも主人公から視点が離れることなく物語が展開されていくのですが、「ワンダー 君は太陽」は、主人公から家族へ、主人公から友達へ、という具合に、物語の視点が主人公の周辺人物にグッと近づいて描写しているところが良かったです。
これが、オギー一家とその周辺人物への感情移入をより深くしました。
人生のトップ映画になった
とにかく号泣しました。今思い出すだけでも余裕で泣けます。
人それぞれの立場や考え方があるということ、オギーが周囲の人に影響を与えていくこと。
大きな勇気と感動を与えてくれました。
自分で変えられないものがあるかもしれないけど、自分で変えられるものはそれ以上にある。
自分が変われば、とても大きな影響を周囲に与えることができる。
映画の最後は、これでもかと泣かせるセリフで締めくくられていました。
この記事も、このセリフで締めくくろうと思います。
「人をいたわれ。
みんなも闘っている。
相手を知りたかったら
やることは1つ。よく見ること」