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北斎とジャポニズム展~パクるって本当に悪いこと?~

葛飾北斎 《富嶽三十六景 神奈川沖浪裏》1830-33年

こんにちは、Fujiki(@Fujiki_Gallery)です。

 

北斎とジャポニズム展に行ってきました。

(本当は怖い絵展に行こうと思ったけど160分待ちだったので諦めて空いていた展覧会に行きました。)

 

その日は不本意でこの展覧会に行った訳ですが、そんな中「パクる」ことについて考えさせられる展覧会でしたので、その考えたことを紹介できればと思います。

 

 

展覧会の概要と見どころ

どんな展示だったか

「北斎と人物」、「北斎と植物」、「北斎と風景」等のテーマに区切られて、北斎の絵と、その絵が利用されているヨーロッパの絵や資料が並べられて展示されていました。

ヨーロッパ側の作品には、北斎の浮世絵を資料としてそのまま本に載せていた例もあれば、全く同じモチーフを全く同じ描き方で皿に描いた例もありました。

例えば、富嶽三十六景の有名な富士山と波の絵とか、赤富士とか、有名な絵があるだけじゃなく、それらの絵がリスペクトを持ってヨーロッパでも描かれていました。

葛飾北斎 《富嶽三十六景 神奈川沖浪裏》1830-33年

葛飾北斎 《富嶽三十六景 神奈川沖浪裏》1830-33年

クロード・ドビュッシー作曲交響詩「海」(楽譜)

クロード・ドビュッシー作曲交響詩「海」(楽譜)

中には、「これポーズがたまたま似ただけじゃない?笑」っていう怪しい組み合わせもありました。笑

 

感心したこと

  • 分かりやすい展示方法

北斎の絵には紺色の下地が敷かれてあり、紺色のプレートにキャプションが書かれていました。

それに対して、ヨーロッパの作品では作品の下に白の下地が敷かれてあり(元々壁が白く、そこに絵が掛けられてる例がほとんどだったけど)、白いプレートにキャプションが書かれていました。

「紺は北斎、白はヨーロッパ」と認識しやすく、しかも終始その展示方法だったので非常に分かりやすかったです。

こういうインターフェースは学習コストが少なくて、キャプションを読み込む必要もないので助かります。

 

  • 予想以上に北斎の絵が取り入れられていたこと

僕のこれまでのジャポニズムのイメージは、広重の浮世絵をゴッホが油絵で模写している作品とか、モネの浮世絵が取り入れられている絵とか、そのくらいでした。

フィンセント・ファン・ゴッホ 《ジャポネズリー:雨の橋》1887年

フィンセント・ファン・ゴッホ 《ジャポネズリー:雨の橋》1887年

クロード・モネ 《ラ・ジャポネーズ》1876年

クロード・モネ 《ラ・ジャポネーズ》1876年

今回新しい知識として取り入れられて良かったのは、「皿、花瓶などの絵に使われていたこと」と、

「浮世絵がそのまま日本を説明する資料に使われていたこと」です。

浮世絵は、ジャポニズムとして芸術面に影響を与えただけでなく、「日本とはどのような国か?人々はどのような暮らしをしているのか?」を説明するための大切な資料として役割を果たしていたんですね。

 

パクりは「絶対悪」なのか?

今回の展覧会の中で、特に考えさせられたことは、「パクり」についてです。

北斎の作品とヨーロッパの作品を順々に見ていくと、「これ絶対パクりだろ笑」っていうくらい、作品をそのまま模写した皿などが展示されていました。

昨今の僕達はパクりに対して非常に敏感になっていますが、僕はパクりは必ずしも絶対悪ではないと思ってます。

なぜパクりは絶対悪ではないのか?その理由を述べていきます。

 

パクってこそ得られる技術や思想がそこにはある

パクりが必ずしも悪でないのは、パクることで、芸術自体が進化する可能性を持っていると思うからです。

 

浮世絵がヨーロッパの世の中に出回り始めていた当時の画家にとっては、浮世絵の作成方法なんか分からなかっただろうから、さぞかし油絵で表現してみたいモチーフだっただろうと思います。

今までの西洋美術の歴史は「立体的に描くこと」が主流だったことに対して、極東の小国では、平面的な描き方の絵をベースに芸術を展開していましたからね。

 

だから、西洋の画家たちは、まずパクってみることで、日本の画家、日本の表現を知ろうとしたわけですね。

そして、ここからが大事なのは、彼らはパクった経験を自分の作風と融合させることで、新しい表現方法を生み出そうとしたことです。

だからこそモネやゴッホなどは浮世絵の表現を一時的にパクり、そこからそれぞれの表現に磨きをかけていきました。

また、アンリ・リヴィエールの《エッフェル塔三十六景》のような、作品集のコンセプトをパクってみたことでフランス芸術に名を残す画家もいます。

 

芸術は、パクり、パクられて(影響し、影響されて)進化してきたんだなぁとつくづく思います。

 

悪いのはパクることじゃなくて、それを自分の作品だと言うこと

パクりが悪いのは、「あたかも自分の作品のように公に言っていること」「パクった作品で金稼ぎをしようとしている」ことだと思います。

お金を稼ぐのはもちろん悪いことですが、僕は特に何食わぬ顔で自分の作品だと言うことに凄く憤りを感じます。

場合によっては、一つの芸術分野を確立した人もいる中で、他人が何十年かけて習得したその人でしかなし得ない表現をリスペクトなく自分のオリジナル作品だと言うことは絶対にやってはいけません。

これは全てのクリエイターにとって「絶対悪」だと考えます。

 

 

北斎とジャポニズム展をきっかけに、「パクりは必ずしも悪ではない」という立場から、芸術のあり方について考えてみました。

絵を描いたり、ダンスをしたり、表現を始める時は、まずはマネてみることから!

そこから、気楽に自分なりの表現を生み出していけば良いと思います。


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Fujiki galleryの管理人。 ゲームプランナーをしています。 大学時代には、美術・芸術を専攻。 Twitter(@Fujiki_Gallery)では音楽、美術中心につぶやきます。